2010年12月13日
通夜終了
通夜から帰宅して、ちゃんと投稿したつもりだったのに下書きのまま眠ってしまいました。
投稿忘れに気付いたのは午前五時。
投稿がなくて心配された方がいらっしゃいましたらゴメンナサイ。
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今日は午前中マンションの管理人室や、近所で母が良く利用していたお店に伺って母の訃報をお伝えして歩きました。
亡くなった翌日にマンションの母の友人達に電話でお伝えした時と違って遥かに辛い経験でした。
心のどこかでまだ母の死を受け入れ切れていない私にとっては母の死を色々な人に繰り返し対面でお話して歩くのは精神的に堪えました。
その後明日の告別式で出棺の際に母のお棺に入れる死装束からの着替えで足りなかった手袋を買いにデパートまで。
併せて探してもどうしても見つからないので私の数珠も買って来ました。
生前病気が進んでからの母は衣類の着脱の際、ボタンの掛け外しに苦労していたので手袋は指先が出るタイプにしました。

帰宅後、母が生前お気に入りだったシャツ・ベスト・バンツ・コート・そして病院の方が見つけてくれた帽子を組み合わせ、あの世での着替えの準備。
この着替えを選ぶ時、ずっと母の遺影に話しかけて相談しながらやりました。
「かーさんは襟にフリルの付いたこのシャツとピンクのベストが好きだよね。スカーフはこれが色が合うかな」とか。
まだ過去形で話すことが出来ません。


コートに付けた真珠付の金属製ブローチが大きめなので、お棺に入れさせて貰えると良いのですが。
老眼鏡はフレームが残るという理由で残念ながら断られましたから。
やはりお棺に持たせる生活用品をチョイスしてバッグに。
昔、私が海外出張の際に母へのお土産で買ったブランド品のバッグ。
母は「普段使うのはもったいないよ」と言って、特別な時しか持ち歩きませんでした。
痛んだらまた新しく買ってあげたのに...

そうこうしているうちに通夜へ向かう時間が迫ってきました。
喪服を着、私が新入社員の頃に母がカルチャースクールで私に作ってくれた七宝焼きのアクセントの付いたネクタイピンを。

自宅に迎えに来た兄とタクシーで斎場へ。
自宅の母の遺影に「これからお通夜に行ってくるよ」と話しかけてしまう自分。
私の中では自宅の遺影も斎場で眠る遺体も、どっちも最愛の母に他なりません。
斎場に早く着いたら葬儀社の生花担当の方が母の祭壇を飾り付けてくれていました。
花・草木が大好きだった母。
人工芝を敷き詰めた自宅のベランダ一杯に花の鉢を並べ、ベランダを公園の小道のようにしていた母。
病気が進んでからは水をやることを忘れるようになって全て枯らしてしまい悲しんでいた母。
お棺と遺影の周り一杯を大好きな花に囲まれ、遺影の母はとても幸せそうに私には見えました。

本当に急なことだったので親類だけで密葬しましたが、私の会社から以前から大変お世話になっているお二人が出席してくださいました。
(じつはその内のお一人はこのブログをご覧いただいているミリタリーファンの方です)
通夜を開始する前に、母の葬儀を担当していただくご年配のお坊様と二人だけでお話しする時間があったのですが、そのお坊様は大変ご高齢のお母様を長く老人ホームへ入所させておられるそうでした。
長生きはすばらしいことだけれどもそれだけが必ずしも幸せではなくて、母が最後に数分間意識を取り戻した際私が手を握り頬をさすり声を掛け続けてあげられたことは故人にとって何よりも幸せな最期だったと思うとお話しいただきました。
通夜の最中涙と嗚咽が止まりませんでしたが親族とお坊様、葬儀社のご担当の方々に支えられて通夜は無事終了しました。
それでも母の遺影が待つ自宅へ一人帰宅すると胸が張り裂けるような想いが湧き上がります。
明日の告別式が終わるまで歯を喰いしばって頑張らないわけにはいきませんが、その後の自分の生活がまったくイメージできません。
こんな私の様子を見たら誰より母が悲しむのは判っているのですが...
これまでの投稿はこちらでサムネイルから閲覧いただけます。
★物欲警報★
PTS ACR用ショートバレルキット
マルイ ガスブロGlock18Cとロングマガジン
WE M14EBR(ストックがMOD0でしたね残念)
5インチフィギュア HALO Reach カーター&KAT
落ちにくい動画サーバー(現在heteml.jpを試用中)
投稿忘れに気付いたのは午前五時。
投稿がなくて心配された方がいらっしゃいましたらゴメンナサイ。
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今日は午前中マンションの管理人室や、近所で母が良く利用していたお店に伺って母の訃報をお伝えして歩きました。
亡くなった翌日にマンションの母の友人達に電話でお伝えした時と違って遥かに辛い経験でした。
心のどこかでまだ母の死を受け入れ切れていない私にとっては母の死を色々な人に繰り返し対面でお話して歩くのは精神的に堪えました。
その後明日の告別式で出棺の際に母のお棺に入れる死装束からの着替えで足りなかった手袋を買いにデパートまで。
併せて探してもどうしても見つからないので私の数珠も買って来ました。
生前病気が進んでからの母は衣類の着脱の際、ボタンの掛け外しに苦労していたので手袋は指先が出るタイプにしました。

帰宅後、母が生前お気に入りだったシャツ・ベスト・バンツ・コート・そして病院の方が見つけてくれた帽子を組み合わせ、あの世での着替えの準備。
この着替えを選ぶ時、ずっと母の遺影に話しかけて相談しながらやりました。
「かーさんは襟にフリルの付いたこのシャツとピンクのベストが好きだよね。スカーフはこれが色が合うかな」とか。
まだ過去形で話すことが出来ません。


コートに付けた真珠付の金属製ブローチが大きめなので、お棺に入れさせて貰えると良いのですが。
老眼鏡はフレームが残るという理由で残念ながら断られましたから。
やはりお棺に持たせる生活用品をチョイスしてバッグに。
昔、私が海外出張の際に母へのお土産で買ったブランド品のバッグ。
母は「普段使うのはもったいないよ」と言って、特別な時しか持ち歩きませんでした。
痛んだらまた新しく買ってあげたのに...

そうこうしているうちに通夜へ向かう時間が迫ってきました。
喪服を着、私が新入社員の頃に母がカルチャースクールで私に作ってくれた七宝焼きのアクセントの付いたネクタイピンを。

自宅に迎えに来た兄とタクシーで斎場へ。
自宅の母の遺影に「これからお通夜に行ってくるよ」と話しかけてしまう自分。
私の中では自宅の遺影も斎場で眠る遺体も、どっちも最愛の母に他なりません。
斎場に早く着いたら葬儀社の生花担当の方が母の祭壇を飾り付けてくれていました。
花・草木が大好きだった母。
人工芝を敷き詰めた自宅のベランダ一杯に花の鉢を並べ、ベランダを公園の小道のようにしていた母。
病気が進んでからは水をやることを忘れるようになって全て枯らしてしまい悲しんでいた母。
お棺と遺影の周り一杯を大好きな花に囲まれ、遺影の母はとても幸せそうに私には見えました。

本当に急なことだったので親類だけで密葬しましたが、私の会社から以前から大変お世話になっているお二人が出席してくださいました。
(じつはその内のお一人はこのブログをご覧いただいているミリタリーファンの方です)
通夜を開始する前に、母の葬儀を担当していただくご年配のお坊様と二人だけでお話しする時間があったのですが、そのお坊様は大変ご高齢のお母様を長く老人ホームへ入所させておられるそうでした。
長生きはすばらしいことだけれどもそれだけが必ずしも幸せではなくて、母が最後に数分間意識を取り戻した際私が手を握り頬をさすり声を掛け続けてあげられたことは故人にとって何よりも幸せな最期だったと思うとお話しいただきました。
通夜の最中涙と嗚咽が止まりませんでしたが親族とお坊様、葬儀社のご担当の方々に支えられて通夜は無事終了しました。
それでも母の遺影が待つ自宅へ一人帰宅すると胸が張り裂けるような想いが湧き上がります。
明日の告別式が終わるまで歯を喰いしばって頑張らないわけにはいきませんが、その後の自分の生活がまったくイメージできません。
こんな私の様子を見たら誰より母が悲しむのは判っているのですが...
これまでの投稿はこちらでサムネイルから閲覧いただけます。
★物欲警報★
PTS ACR用ショートバレルキット
マルイ ガスブロGlock18Cとロングマガジン
WE M14EBR(ストックがMOD0でしたね残念)
5インチフィギュア HALO Reach カーター&KAT
落ちにくい動画サーバー(現在heteml.jpを試用中)
『年末のご挨拶』(2017 Ver)
『年末のご挨拶』(2016 Ver)
『昨日の今日でマイナーチェンジ』
『HK416との最後の戦いが終わりました』
『来たよ来たよ!\(•ㅂ•)/』
『アホの子なので塗り直し』
『年末のご挨拶』(2016 Ver)
『昨日の今日でマイナーチェンジ』
『HK416との最後の戦いが終わりました』
『来たよ来たよ!\(•ㅂ•)/』
『アホの子なので塗り直し』
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お前いい奴だなあ本当に。
立派にお見送りして、偉かったね。
どもです。
全然えらくないです。
亡くなってからバタバタせずに、生前もっと親孝行しとけって感じですよ。
コメントいただいて嬉しいです。
どもです。
おっしゃる通りだと思います。
告別式の後の親族の会食で、母が好きだったお蕎麦屋さんの優しさに触れました。(母は別に常連客でもないのに)
誰からも好かれていた母の暖かい人柄を思い出して心が温まる想いです。
大変辛かったことでしょう。
なぜか、私も泣いてしまいました。
ご冥福をお祈りいたします。
どもです。
お悔やみの言葉と母のための涙、本当にありがとうございます。
私も涙がもう枯れたかと思っていても、家の中を掃除していて母の手書きのメモを見つけたりすると恥ずかしながらまだ号泣しちゃったりします。
時間が解決してくれるとよく言いますが、それはそれで私が母を忘れてしまう事を意味するようで、それも切ないんですよね。